クソゲーという言葉のルーツとなった「いっき」、今ではサン電子が自虐的に「クソゲー」というほど知名度があるゲームといえるが、実際にファミコンでプレイしているとゲームとしては詰めが甘く、ボリュームに欠ける部分がある ((アーケード版からストーリーやミニマップなどのシステムが排除されている劣化移植としての側面もある)) ものの、ゲームとしてはそれなりに遊べて、意外にもハマるゲームであり、本当の意味での「クソゲー」というわけでもないようだ。
今日におけるクソゲー
個人的には今日ではクソゲーと呼ばれるものは以下のようなものを挙げる。
- バグのひどいゲーム
- 操作性の悪いゲーム
- 理不尽に難しい、あるいはヌルすぎるゲーム
- ゲームシナリオやシステムの出来の悪いゲーム
以上のようなものが挙げられる。全体的にはユーザーが楽しめるようなものになっていない自己満足的なものが概ね「クソゲー」に入るものと考えている。
今で言えば「いっき」はバカゲー
「いっき」について言えば、「一人or二人で一揆」で「敵はなぜか忍者」、「竹槍」といったことで有名だが、あれがクソゲーと呼ばれるようになった理由がみうらじゅん氏が「一揆は一人や二人でするものではない」という理由でクソゲーと評したとされることに由来すると言われている。
とはいえ、あれは設定がコメディそのものであることと、ゲーム性としては決して悪いわけではなく、ルールがわかればそれなりに楽しめるものになっているため、設定のおバカさ加減から「バカゲー」にあたるものと考えている。
最後に
今回は個人的にいっきを挙げてクソゲーとバカゲーの違いでダラダラ書いていたが、結局のところ、ゲームとしての出来が悪ければクソゲーになるし、演出のセンスが奇抜でおバカなゲームだとバカゲーになるのだろう。
ただ、バカゲーを作るつもりがゲームとして破綻し過ぎてしまってクソゲーになったり、真面目なゲームを作ったつもりが設定がおバカにとられてしまいバカゲー扱いされたりと、開発者とユーザーのギャップは意識しなければならないのだろうか。
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