単なる写経ではプログラミングは上達しない

いくつかの記事において、プログラミングのスキルを身につける、あるいは上達させる方法としていわゆる「写経」がしばしば取り上げられるが、個人的には、確かに重要な要素ではあるとは考えている一方で、単なる写経では上達しないと考えている。また、「写経」という語が適切とは言い難い面があるとも考えている。

プログラミングにおける「写経」とは、実際のソースコード(サンプルコード)をお手本に、自分自身でキーボードを使って書くという手法である。これは、コピーアンドペーストと比較すると、キーボードを操作する関係からかなり時間がかかるものの、実際にコードを書くことによって、イメージしやすくなると言われている。

しかしながら、単なる写経であれば、コピーアンドペーストとあまり変わらず。実際に活かせるようにするには、そのコードの全体像や手続きを理解する必要があり、なおかつそれを自分のものにしていくというプロセスを経ないとならない。

そういう意味では、私は「写経」というよりも、「臨書」という言葉の方が適切ではなかろうかと考えている節がある。

「臨書」とは、書道において、先人の書いた優れた筆跡である「古典」をもとに、それをお手本としながら自らの技術を磨いていく学習方法で、これには以下の3つの学習方法がある。

  • 形臨: 筆跡の字の形を模倣する学習。技術面の学習を行う。
  • 意臨: 形にとどまらず、その書の作られた意図、時代的背景や作者の生き方など、精神面の学習を行う。
  • 背臨: お手本を見ずに、記憶だけを頼りにその書を模倣する学習。

これらの臨書を行うほか、その古典を学習することによって、自らのものにしていき、新たに作品を作っていく。

そういう意味では、プログラミングにおいても、参考となるコードがたくさんあるので、優れたコードを読んで、学習していきながら、その全体像や処理の流れを習得していき、自らのものにしていくということが大事であると考えている。

したがって、ただ単に写経するだけでは、コピーアンドペーストと変わらないので、ぜひともしっかりと学習していきたいものである。

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