はじめに
現代社会において、情報は空気のように当たり前に存在している。しかし、誰もがそれを正確に“吸い込めている”とは限らない。特にSNSや動画サイトの普及により、個人が容易に情報を発信できるようになった今、真偽の怪しい情報が日常的に流通し、多くの人々がそれに無防備に接している。
たとえば、ある投資法が「確実に儲かる」と吹聴され、多くの人が疑うことなく資金を投入した結果、損失を被る例が後を絶たない。また、ワクチンをめぐっても、「危険だ」「陰謀だ」といった主張が拡散され、科学的な議論ではなく感情的な反応が優先されてしまう場面が目立つ。
こうした現象の背景にあるのが、「情報リテラシー」の欠如である。情報リテラシーとは、単に情報に触れる力ではなく、「その情報を批判的に吟味し、必要な情報を見極め、適切に活用する力」のことである。そしてこれは、マネーリテラシーや医療リテラシーといった他の重要な生活知識とも密接に関わっている。
本記事では、マネーや医療といった身近で切実なテーマを題材に、「なぜ人は誤情報に踊らされるのか」「どうすれば踊らされずに済むのか」を探っていく。目指すのは、“誰もが騙される可能性がある”という前提に立ちつつ、より賢く、より慎重に情報と向き合う思考の道具を手に入れることである。
第1章:なぜ情報に振り回されるのか
人は、常に「判断」しながら生きている。今日の昼食に何を食べるか、どのルートで帰宅するか、どのサービスを使うか——すべてに情報が関わっている。そして、判断材料としての「情報」は、時に人間の思考を巧妙に操作する。
とりわけネット社会においては、誤った情報や意図的に操作された主張が拡散されるスピードが速く、しかもそれが「もっともらしく」見えることが多い。こうした情報に振り回される背景には、いくつかの心理的・構造的な要因が存在している。
1. 確証バイアス:自分の信じたい情報しか見ない
人間は、自分がすでに信じている考えや価値観を裏付ける情報を好む傾向がある。これを「確証バイアス」と呼ぶ。たとえば、「投資は危険だ」と思っている人は、失敗例ばかりに注目し、「投資で成功した」という情報を無意識に無視する。同様に、ワクチンに不安を感じている人は、副作用を強調する記事ばかりを共有する。こうして、自分にとって“都合の良い世界”が出来上がってしまう。
2. 権威バイアス:「それっぽい人」の言葉を信じてしまう
「○○大学教授が言っていた」「投資家の△△氏が推奨している」——こうした肩書や専門家風の装いに、人は弱い。実際には内容が不十分だったり、明確な根拠がなかったとしても、“権威らしさ”があると信じてしまう。これは企業のCMやインフルエンサーの投稿にも共通する現象であり、現代では「見せかけの専門性」こそが最大の武器になっている。
3. 感情に訴える情報の強さ
人間の意思決定は、必ずしも合理的ではない。むしろ「怒り」「不安」「希望」「恐怖」といった感情に動かされることが多い。陰謀論や煽り系の情報は、事実ではなく感情を刺激することに主眼が置かれている。理屈ではなく、“怖い”“許せない”“救われたい”と感じさせることで、人は理性のハードルを飛び越えて信じてしまう。
4. SNSアルゴリズムの“情報囲い込み”
SNSや動画サイトのアルゴリズムは、ユーザーの“興味がありそうな”情報を優先的に表示する。この仕組みは便利なようでいて、実は視野を極端に狭める。ある考え方に偏った投稿をいくつか見ただけで、以後は似た情報ばかりが表示されるようになり、反対意見や批判的視点に触れる機会が失われていく。こうして、自分だけの“偏った現実”が作られていくのである。
第2章:マネーリテラシーと情報リテラシーの交差点
「お金の話はタブー」とされがちな日本社会において、マネーリテラシーの教育は長らく後回しにされてきた。その結果、金融商品の仕組みを理解せずに契約してしまう人や、極端な投資情報に踊らされて資産を失う人が後を絶たない。
そして、こうした“お金のトラブル”の多くも、実は情報リテラシーの欠如に根差している。マネーリテラシーと情報リテラシーは、切っても切れない関係にあるのだ。
1. 「絶対儲かる」に潜むワナ
SNSや動画サイトでは、「この方法なら誰でも月収100万円」「○○に投資すれば確実に資産が2倍」といった言葉が氾濫している。これらの多くは、統計的な再現性もなく、過去の一部成功例を誇張しているにすぎない。それでも、多くの人が魅了されるのは、「手軽に儲かる」という欲望に訴える構造と、情報の送り手が「実際に成功した人」に見えるからである。
だが、情報リテラシーがあれば、そこに冷静な疑問を挟むことができる。 「なぜその方法が有効なのか?」 「リスクはどこにあるのか?」 「その人は何を得ようとしているのか?」 こうした視点を持たずに情報を受け入れれば、いずれ高い“授業料”を支払うことになる。
2. 制度を知らぬままでは損をする
たとえば、NISAやiDeCoなどの税制優遇制度は、正しく使えば将来に向けた資産形成の強い味方となる。しかし、これらを「よくわからないから」「なんとなく怖いから」と敬遠し、何もしないまま過ごす人も多い。逆に、制度の仕組みを理解せずに加入し、思わぬタイミングで資金拘束に直面する人もいる。
このように、知らないことが損につながる世界では、情報を正確に取り入れ、活用できる能力が決定的に重要である。
3. “成功者”の情報発信に潜むバイアス
最近では、SNSやYouTubeで「お金の先生」を名乗るインフルエンサーが急増している。彼らの中には誠実な発信者もいる一方で、「自分の経験」を一般化し、「誰にでも通用する成功法」として売り込む者も多い。そうした情報は、一見わかりやすく魅力的であるが、その裏には再現性の低さや過去バイアスが潜んでいる。
そして忘れてはならないのが、「彼らは情報を売って収益を得ている」という事実である。広告収入、アフィリエイト、商材販売——そのビジネスモデルを知ることが、情報を鵜呑みにしない第一歩となる。
4. 賢い人は「わからない」と言える
本当にリテラシーの高い人ほど、「これは正確にはわからない」「不確定要素が多い」と慎重な姿勢を見せるものである。にもかかわらず、多くの人は「断言してくれる人」を信頼してしまう傾向がある。なぜなら、“断言”は安心感をもたらすからだ。
しかし、その安心感こそが最大の罠である。判断に迷ったときは、むしろ「わからない」というスタンスにこそ信頼を置くべきである。情報の世界では、慎重さこそが誠実さの証明なのだ。
第3章:ワクチンをめぐる誤情報の構造
新型コロナウイルスの流行により、「ワクチン」という医療技術をめぐる情報の信頼性が社会全体に問い直された。科学的知見とデマ情報が錯綜し、判断を誤れば健康に関わるリスクさえ生じる。その背後にも、やはり情報リテラシーの問題がある。
1. 科学と“断言”の矛盾
科学とは仮説と検証の積み重ねであり、断定を避ける慎重な言葉遣いが基本である。一方、誤情報は「危険」「陰謀」といった強い断言で人を惹きつける。断言は不安な心に安心感を与えるが、その安心こそが罠となる。
2. 権威のねじれと情報の乱反射
「医者が言っていた」「製薬会社の元社員が暴露した」など、一見権威ある発言のように見せかけた情報が拡散する。だがそれが専門家の中で孤立した意見であったり、文脈を歪めたものならば、むしろ誤導の可能性が高い。
さらにSNSでは情報が要約・加工・再拡散される中で、原意が失われ、感情的・扇動的な断片だけが残ってしまう。これが「情報の乱反射」である。
3. “反ワクチン”の感情設計
「子どもを守れ」「政府に騙されるな」など、感情に強く訴えるメッセージは共感を得やすいが、それゆえに判断力を鈍らせる。感情を揺さぶられたときこそ、一度立ち止まり冷静に情報の根拠を確認すべきである。
4. 信頼できる情報源とは何か
一次情報(論文や統計資料)に直接あたることは理想的ではあるが、一般人にとっては専門性や時間の面でハードルが高い。そのため、信頼できる二次情報——公的機関、専門家による中立的な解説、科学的根拠を明示した報道などを基盤とすべきである。
「誰が言っているか」ではなく、「何を根拠に言っているか」という視点が重要だ。
5. 医療リテラシーの基盤にある情報リテラシー
医療リテラシーとは、医療に関する情報を理解し、活用する力であるが、その前提には情報リテラシーがある。正確な情報の選別力なしに、医学的判断を適切に行うことはできない。
過去には、インフルエンザワクチンに対して「効かない」「副作用が強すぎる」といった誤解が広まった時期もあった。しかし、長期的なデータ蓄積や季節ごとの統計情報の公表、現場の医師による丁寧な説明などにより、現在では多くの人々がその有用性と限界を理解し、冷静に判断する空気が広がっている。
HPVワクチンもまた、誤情報に大きく影響された例である。一時期は接種率が急落したが、科学的な検証と副反応の詳細調査、そして継続的な情報発信の積み重ねによって、徐々に接種が再評価され、接種率が回復傾向にある。これは、社会全体の情報リテラシーが高まった結果の一つといえる。
このように、誤情報から回復した事例もまた、私たちが「正しく疑い、理解する力」を持ちうることを示している。
第4章:情報を見抜く5つの視点
情報を「見抜く力」は、特別な才能ではない。以下の5つの視点を意識するだけで、誤情報に騙される確率は大きく下がる。
1. 出典は明示されているか? その出典は信頼できるか?
出典が明示されておらず、「〜らしい」「〜と誰かが言っていた」だけの情報は信頼に値しない。出典が公的機関や専門家による一次または信頼できる二次情報かどうかを確認する。
2. 感情に訴えかけていないか?
怒り、不安、希望、恐怖などの感情に訴える情報は、判断力を鈍らせる。感情を揺さぶられたときほど、冷静な再確認が必要である。
3. 専門家の間で合意があるか? それとも意見が分かれているか?
少数の専門家が主張する説と、学会レベルで広く共有されている通説とでは信頼度が異なる。専門家集団のコンセンサスがあるかどうかを確認する。
4. 反対意見や反証にどう向き合っているか?
信頼できる情報は、異論や批判にもきちんと答える傾向がある。都合の悪い情報を無視する、または敵対的に排除する発信者は注意すべきである。
5. それは自分にとって“都合がよすぎない”か?
「楽して儲かる」「陰謀から自分だけが目覚めた」など、あまりに都合のよい情報は疑ってかかるべきである。確証バイアスに陥らぬよう、自分にとって心地よい情報ほど慎重に扱うこと。
終章:疑うことは、自由になること
「疑う」という行為は、他人を否定することではない。それは、情報の背景を理解し、自分で考えるための出発点である。
現代は、誰もが大量の情報を浴びながら生きている。そして、その中には無数の誤情報、扇動、陰謀論、商業的誘導が混ざっている。情報リテラシーがなければ、いつの間にか誰かの物語に巻き込まれ、自分の判断を失ってしまう。
だが、慎重に出典を確認し、感情を落ち着かせ、異論に耳を傾け、自分のバイアスに気づくことで、私たちは「情報を使う側」に立つことができる。完璧な正解を求める必要はない。重要なのは、誤情報に引きずられず、自分の判断に責任と納得を持てるようになることである。
疑うことは、自由になることなのだ。
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