JASRACの音楽教室への著作権使用料徴収問題から考える

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JASRAC、音楽教室から使用料徴収 反発も』(日本経済新聞)によると、日本音楽著作権協会(JASRAC)は、ピアノをはじめとした音楽教室からの著作権利用料を徴収するという方針を発表、音楽教室業界は反発、「音楽教育を守る会」を結成 ((『ヤマハや河合楽器などが「音楽教育を守る会」結成 JASRAC徴収方針に対応』 – CINRA.NET)) 、インターネット上でも話題になっている。

JASRACが著作権使用料を徴収する法的根拠はどこにあるのか

この件については、『JASRACが音楽教室からも著作権使用料を徴収しようとする法的根拠は何か?』(Y!ニュース)が詳しい。

当該記事によれば、著作権法第22条の演奏権によるもので、少人数によるグループレッスンであっても、誰でも申し込めば生徒になれるから、全体としては不特定多数である、とJASRAC側は解釈して著作権使用料徴収へ動いたのだろうと考えられるとのことである。また、2004年の社交ダンスでのCD演奏をめぐって、JASRAC側が勝訴したという判例に触れており、今回の件では訴訟になった場合、音楽教室側は分が悪そうという点も指摘している。

徴収における問題点

とはいえ、個人的な感覚では、演奏会はともかくとして、個人あるいは少数のグループを相手にしたレッスンにまで利用料を徴収するのは少々違和感がある。

まず、音楽教室ではそれぞれどの楽曲を使用するのか、例えば著作権が消失したのか楽曲を中心に加えるのかといった方針に影響して管理楽曲を一切使わないのか、あるいは逆にほとんどが管理楽曲なのかというばらつきは想定される。また、受講者の希望しだいでもそれが変わる可能性がある。

こうなった場合、各音楽教室毎で著作権使用料の面で不公平感が出る、経営に不安材料を与えるのではということは否定できない。かといっても、管理楽曲の使用状況に応じて設定するということも事務手続きなどの問題で現実的ではなさそうで、包括的な契約になるように持って行こうとしているのはやむを得ない部分はあるのかもしれない。

それにしてもJASRACへの悪印象は多いが

それにしても、今日における一般人(非著作権者)からのJASRACの印象は相当悪いように見受けられる。時には音楽における著作権管理での利権問題や独占的な地位にあることが往々にして批判されている。

理由の一つとしては、『JASRACは、なぜ嫌われるのか? 音楽ユーザーの自由狭まり「悪者」に』(withnews)で触れられているが、JASRACによる利用料徴収及び著作権者を保護する方向で著作権法が改正されていったことが、結果として利用者による音楽を楽しむことに制限を課してしまっているということが考えられる。

また、音楽の著作権の管理において支配的な位置に立っていること、なおかつ包括的な契約で他社の参入を排除しているとして独占禁止法違反に問われていた ((『JASRAC独占禁止法違反事件(前編)』 – 音楽著作権弁護士のブログ(仮))) ((『JASRAC独占禁止法違反事件(中編)』- 音楽著作権弁護士のブログ(仮))) ((『JASRAC、自らの独禁法違反認める 他社の参入排除』 – 朝日新聞DIGITAL)) 。

また、JASRAC設立のきっかけとなった、1931年よりウィルヘルム・プラーゲが欧州の著作権管理団体の代理人として日本の放送局及び演奏家に極めて高額な著作権使用料を請求した、いわゆる「プラーゲ旋風」だが、現在ではそれと似たようなことをJASRACが行なっているのではという指摘もある ((『音楽著作権使用料~ジャズ喫茶とJASRAC』 – 荒んでいく世界)) 。

ほかにも著作権使用料徴収における杜撰な調査や組織の人件費、権利者への還元システムの問題点、現在のJASRACの運用が現在のインターネット社会に対応できているとはいえない、などのマイナス面が重なったことがあってか、今日の利用者側から見たJASRACの印象はかなり悪いものになっているようである。

最後に

今回はJASRACによる音楽教室への著作権使用料徴収問題について、他の資料を参照しながら、私なりに書いてみた。行くべきところとしては、利用者側にとっても著作権者側にとっても利益になるような方向へ向かうことが望まれるのだが、双方の利益が対立してしまうことも珍しくないという問題もあってか、難航するのはやむを得ないのだろう。

また、著作権者がバラバラになっていることで、利用許諾の手続きを行う際にも煩雑すぎて問題になっていた。音楽業界ではプラーゲ旋風もあって、その対策として一括管理の必要性があったことが、現在のJASRAC創設のきっかけになったと言える。一方で、今日ではその弊害が出てしまっているように見受けられることを考えるに、著作権のあり方を再び考えなければならないのかもしれない。

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