日本語において定着している「地球」という語彙は、大地が球体であるという前提の上で成り立っているものである。大地が球体であるということは、古代から様々な事象から経験則的に得られた数多くの傍証を積み重ねた末で確立した考え方である。ここでは、大地球体説が確立された経緯と地球の語の成立の過程を中心に考察を述べてみたい。
大地球体説確立の経緯
大地球体説成立前
古代の文化においては、大地は平面状あるいは円盤状であると考えられていた(大地平面説)。この説は古典期のギリシアで大地球体説が確立し、長い年月を経て世界へ伝播するまでの間は一般的な説で、天文学の発展と共に次第に大地球体説へと移行していった。
古代ギリシアから大地球体説が誕生し広まる
大地球体説は古典期のギリシアに始まり、ピュタゴラス、ヘロドトス、プラトン、アリストテレスをはじめとした学者が様々な観点から地球が丸いということに触れていた。
古典期ギリシアにおいては大地球体説は哲学的考察の対象にすぎなかったが、ヘレニズム時代に入ってからは天文学として大地球体説の概念が広まり、ローマ帝国に引き継がれたほか、一部を除いたキリスト教の学問でも受け入れられ、東方では古代インドでも大地球体説が受け入れられたと言われている。
中世の大地球体説
ローマ帝国の衰退後の中世ヨーロッパにおいては、古代ギリシアの遺産として、少なくともごくわずかな例外を除いたキリスト教徒の間では大地球体説が一般的な説として共有されていた。
また、中世イスラーム世界においては古代ギリシアの天文学を引き継いだことで、イスラーム世界においても学者の間を中心に大地球体説が共有されていた。
近世の大航海時代以降
近世の大航海時代のマゼランらによる世界一周完了、古代から用いられていた大地球体説の証拠を組み合わせることで、大地球体説の実際的な証明がなされた。
大航海時代においては明朝時代の中国や戦国時代〜江戸時代の日本にも宣教師を通じて大地球体説が伝えられた。日本においては中期以降に「地球」の語が使われ始めたが、当時の仏教界からは激しい反対論が出ており、この根強さは明治中期にも大地球体説に反対する本を出版するほどであった。
現代では宇宙技術の発展により大地が球体であることの根拠がさらに増えている状態にある。
「地球」という語について
近世の大地球体説の経緯にも触れたが、「地球」という語は、明朝の中国において宣教師により大地が球体であることを伝えられたことを機に、マテオ・リッチが著した『坤輿万国全図』で初めて「地球」という語が使われたといわれている。その後清朝に入ってから西洋の天文学が伝えられて次第に中国の人々にも大地球体説が受け入れられるようになり、「地球」という語が使われるようになった。
日本においては江戸時代にこの漢語が輸入され、中期の『西洋紀聞』や『和漢三才図会』で使用例あり、その後は幕末から明治期においては庶民でも使われるほどに定着したと言われている。
「中世は大地平面説が信じられていた」という神話
ここまでの経緯で、中世ヨーロッパおよびイスラーム世界においては大地球体説が定着していた旨の説明を行ったが、一方で近代より「中世ヨーロッパでは大地平面説が信じられていた」という誤解が広まっている問題も指摘されている。
今日における大地平面説
近現代においてはすでに数多くの証明から大地が球体であることが知られているものの、今日では陰謀論者やキリスト教原理主義者の間でウェブ上で大地平面説が語られるようになった。
最後に
今回は日本語として定着している「地球」の語を念頭に、その前提となる大地球体説と地球の語の成立背景などを中心に考察を述べてみた。「地球」という語そのものに大地が球体であるという歴史を含めた用語であり、それは多くの人々が様々な方法で調べ上げた末に気付いた理論であるといえる。
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